中秋の名月(夜+鴆+猩影)


その姿は美しく、闇夜を照らす
降り注ぐ柔らかな光に惹かれ、夜空を見上げれば
天上に輝く名月―…



□中秋の名月□



ぎぃとでかい顔の付いた牛車-朧車-が音を立てて門前で止まる。

「あれは本家の…」

「大変だ!早く猩影様に…!」

奴良組傘下の妖怪達の間では朧車は本家の物、そう広く認識されていた。

誰が乗っているのか分からないが、門前につけられた予定の無い訪問者の訪れに屋敷の者達はざわめき出す。

先の一件で壊滅状態に追い込まれた狒々組だったが、残された狒々の息子、猩影が跡を継ぎ、今また組として微力ながら力を取り戻しつつあった。

朧車を見てざわめき出す組員の殆どは未だ若く、組としてはまだまだ大変かも知れない。

バタバタと廊下を駆ける音に、ざわつく空気。いち早く気付いた猩影は組員に声を掛けられるより先に玄関に向かっていた。

「あっ、猩影様!」

「何があった?」

慌てる組員に猩影は冷静な眼差しで問う。
すると、組員もはっと落ち着きを取り戻し、報告する為に口を開いた。

「門前に本家の朧車がお見えです」

「本家の?」

ひそりと眉を寄せ、猩影は伝えに来た組員を下がらせて足早に門前に向かう。

「まさか…」

本家でまず思い浮かぶのは三代目だ。昼も夜もあの人は良く突拍子もないことをしてくれる。

草履に足を突っ掛け、開け放たれた玄関口をくぐる。

ちょうどその時、猩影が出てきた事に気付いたのか、門前に停められていた朧車の戸が開いた。

じゃりと砂利を踏む音。すっと黒い着物がのぞき、端整な顔と棚引く銀の髪が現れる。

「よぉ、猩影」

口許に緩く笑みを浮かべ、すぃと細められた視線が門前まで出てきた猩影に向けられた。

「やっぱり…、三代目でしたか」

「俺もいるぜ」

そして、リクオの後からもう一人。

「鴆さんまで。…何かあったんですか?」

急な二人揃っての来訪に、猩影は些か気を引き締めて聞き返した。しかし、二人はふっと苦笑しただけで違う違うと首を横に振る。

「ほら見ろ鴆、朧車なんか使うから大事になっちまったじゃねぇか」

「だからって俺に歩いてけってのかよリクオ」

「そうは言わねぇがもちっと他の方法を…」

「大体猩影の屋敷に行こうって言い出したのはリクオ、お前だろぉが」

「何言ってんだ、お前だって頷いてたじゃねぇか」

ぽんぽんと軽口を叩き合う夜と鴆に、猩影はほっと肩から力を抜いて口を挟んだ。

「お二人ともここでは何ですし、中に上がって下さい」

何だ何だとあからさまでは無いが、ちらちらと集まる視線に猩影は三代目の面子と後に組に与えるであろう影響を考え、屋敷の中へと促す。

もちろん、その心遣いに気付かない二人ではない。

「悪ぃな」

「邪魔するぜ」

鴆は猩影の肩をポンと軽く叩き、夜はニヤリと口角を上げて歩き出す。

周囲で見ていた者達は猩影と本家の者達の気安いやりとりにさざめく。

「鴆さん…、三代目まで…。ありがとうございます」

「良いってことよ。それより月の良く見える部屋ってあるかい?」

「月、ですか?」

そういえば今夜はやけに明るいなと、ふと空を見上げ…。

「あぁ、今夜は十五夜か…」

「そういうこった。頼むぜ猩影」

「それと酒はリクオが持って来たから用意しなくていいぜ。むしろ飲んでやれ」

楽しげに笑う夜と鴆につられて猩影もふっと笑みを溢す。

「それなら良い場所がありますよ」

こちらです、と猩影は先頭に立ち、二人を屋敷の中へと歓迎した。
その後で、

「猩影様って凄いんだな…」

「あぁ、本家の方々とあんなに親しくされて…」

「俄然、猩影様に着いてく気になったぜ俺」

組員達は口々に囁き合い、決意も新たに今宵も組の為尽力を尽くすのだった。







屋敷の中を案内しつつ廊下を進む猩影に、ふと夜が何かに気付いて声をかける。

「猩影。あの離れは…」

庭の木々に隠れてしまっていて分かりづらいが、母屋から伸びる廊下の先に離れがあるのが見えた。

「あれは…生前親父が良く使っていた離れです。今は俺が考え事をする時とか悩んだ時とかに少し使うだけですが」

あの離れに行くと何だか自然と気持ちが落ち着くんですよね。

そう言葉にする猩影の表情は柔らかく、あの離れを大切に思っているのが伝わってくる。

「そうか…」

狒々様の、と夜は口の中で呟き、瞳を細めて静かに頷き返した。

「さっ、こちらの部屋です」

足を止め、襖を開けて入室を促す猩影に夜と鴆は部屋の中に足を踏み入れる。

微かにいぐさの匂いが薫る和室。床の間にはススキを始め萩、桔梗や吾亦紅といった秋の花が籠網に活けられている。

室内に入り、閉じられていた障子を開けば向こう側には蓮の浮かぶ小さな池があった。

手入れの行き届いた庭は美しく、ふと水面に視線を落とせばゆらゆらと揺れる月。

「へぇ…、こりゃ良いな」

「風流じゃねぇか」

水面に映る月と天に座す月。今宵の主役が二つも楽しめる。風情ある景色に鴆は感嘆の声を漏らし、夜も機嫌良く笑う。

障子を開け放ったまま庭に近い畳の上に腰を下ろし、夜は持参した酒と盃を置く。

「猩影。お前も飲むだろ?」

「頂きます」

もはや恒例になってきた酒の誘いに、猩影は遠慮せず貰うことにする。

「リクオ、俺にもな」

庭の景色から目を離し、ドカリとリクオの向かいに座った鴆も当然の様に盃を差し出し遠慮がない。

その様子に夜は緩く口端を吊り上げ、二人の盃に酒を注いだのち、猩影からお返しとして盃に酒を注ぎ返される。

「今夜は月がメインだからな。特に鴆、お前は飲み過ぎるなよ」

「何で俺なんだ」

「お前には月を愛でて酒を飲むってイメージがねぇ。どっちかってぇと酒がメインになりそうだからな」

「あぁ…、それちょっと分かる気がします」

酒で唇を湿らせればするりと言葉は溢れる。

「お前もか猩影。じゃぁ何で俺を誘ったんだよ」

本気で拗ねているわけでもない言葉遊びにも似たやりとりに、夜は盃に唇を付けしれっと返す。

「仲間外れにしたらいじけるだろお前」

「くっ―…。三代目、それは…」

あんまりにも率直すぎる返しに、こちらはたぶん本気で…思わず笑いそうになった口を抑えて猩影は鴆をフォローしようとする。

「ほら、猩影だってそう言ってるぜ」

「ち、違います…」

だが、慌てて応えた声は完全に震えていて、肯定したも同然だった。

「はーー。ったく、笑いたきゃ笑え。どうせ俺はいつも寂しく留守番だよ。どっかの誰かさんが置いてっちまうからな」

グィと盃をあおり鴆はふて腐れた様に夜を軽く睨む。が、その視線を受けて尚、夜は飄々とした態度を崩さなかった。

「だから今夜は連れて来てやったじゃねぇか」

流石にこれには猩影も言葉無く、慰める様に空になった鴆の盃に酒を注ぐ。

「おぉ、悪ぃな猩影」

「いえ…何か摘まめる物でも用意しますか?」

そう聞いた猩影に、直前の話をさほど気にした様子もなく鴆は夜へと視線を投げる。

「リクオ。何かいるか?」

「無理に用意する必要はねぇが、そうだな…ありあわせか何かあれば」

「分かりました。ちょっと待ってて下さい」

「おぅ」

猩影が一旦席を外し、今度は鴆が夜の盃に酒瓶を傾け、クツリと笑みを溢す。

「猩影の奴も中々成長したじゃねぇか」

「そりゃぁな。今じゃ組を引っ張る立場だ。色々大変だろうがこれからも猩影には頑張ってもらわねぇとな」

「そう言うお前もな、三代目」

普段鴆には呼ばれない呼称で呼ばれて夜は妙な気分になる。

「お前に三代目って言われると何か違和感あるな」

「俺もだ。リクオはリクオだな」

互いに顔を見合わせ二人はふっと笑う。

「少しですけど簡単に摘まめる物持ってきました」

そして、酒の摘まみを盆に乗せ戻って来た猩影を輪に加え、地上を明るく照らす月と水面に輝く月を愛でながら夜は静かに深まって行く―…。



end





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